私がATOKを使えない理由 〜漢字直接入力のおなはし〜

2015年04月20日

翻訳者向けのネット記事や雑誌記事を見ていると、入力作業の効率化に関連して、日本語の入力方式やIMEについての話題が取り上げられていることがあります。

たとえば、大多数の人が使っているローマ字入力と かな入力については、「MS-IMEよりATOKの方が変換精度が優れている」「ローマ字入力よりかな入力の方が打鍵が少ない」「IMEの辞書登録をうまく使えば長い単語も数文字で入力できる」など、さまざまな情報をあちらこちらで目にします。

あるいは、もう少しマイナーなところでも、「親指シフト一筋!」という方は時々いらっしゃいますし、「最近は音声入力も格段に進歩した」なんて話もたまに耳にします。

ところが、さらにマイナーな「漢字直接入力」(略して「漢直」)となると、翻訳クラスタで話題にしている方があまりいらっしゃいません。それどころか、存在自体もほとんど知られていない気がします。

私は、そんな知る人ぞ知る漢字直接入力を愛用しております。使用歴は15年ほど。「超絶技巧入力」という、なんともインパクトのある名前の漢直を使っています。

そんなわけで、あまりに知名度がなさすぎてかわいそうな漢直に、少しだけ光を当てたいと思って書いたのが、今回のブログ記事です。漢直について簡単にご紹介します。

なお、この記事は、「漢直はこんなに素晴らしいからオススメ!」というつもりで書いたものではありません。むしろ、習得にかかる労力と、そこから得られるメリットとを天秤にかけて冷静に考えたら、仕事の道具として気軽にお勧めできるものでもないというのが正直なところです。
でも、変わったもの好きの私にとってはやめられない(笑)。

なんというか、日本語入力にはこんな世界もあって、それを実践している人間もわずかながらいるということを、日本語と日々格闘している皆さんに少しでも知っていただけたら幸いです。

漢字直接入力とは

漢字直接入力(漢直)とは、その名のとおり、漢字を直接入力する日本語入力方式のことです。通常の日本語入力は、ローマ字入力にせよ かな入力にせよ、いったん ひらがなで入力した言葉を漢字に変換する作業が必要ですが、漢字直接入力は、変換なしで漢字をダイレクトに入力できます。

たとえば、「先生」と入力する手順をローマ字入力と漢直とで比べると、次のようになります。

○ローマ字入力の場合

  • se→「せ」 n→「ん」 se→「せ」 i→「い」、とキーを打ってひらがなを入力する
  • 変換キーを押し、変換候補を確認する
  • 変換候補が「先生」の所で確定キーを押す

○漢字直接入力(超絶技巧入力)の場合

  • wg→「先」 eg→「生」、とキーを打つ(入力の時点で目的の漢字が出る)
  • 確定キーを押す

漢直では、決められたキーを決められた順序で押せば、自分が意図したとおりの漢字を一発で入力できます。あとはそのまま確定するだけ。変換候補を確認する必要がなく、とても快適です。

次の動画は、漢直を使った入力の実演です。夏目漱石の『こころ』の冒頭部を、かな漢字変換と漢直(超絶技巧入力)のそれぞれで入力する様子をキャプチャしました。(「Google日本語入力」を使い、サジェスト機能をオフにした状態で入力)。

◎かな漢字変換で打ち込んだ『こころ』(文節単位で変換)

150420_kokoro_kana.gif

◎漢字直接入力(超絶技巧入力)で打ち込んだ『こころ』

150420_kokoro_cho.gif

※「憚る」は、超絶技巧入力では直接打てないため、かな漢字変換で入力しています。(厳密には、漱石は「憚かる」と書いたようですが)。

漢直には、さまざまな種類や流派があるのですが、私が使っている「超絶技巧入力」は、増田忠士さんという方が考案した入力方式です。増田さんは、キーボードの入力方式やブラインドタッチの習得法について研究や指導をされている方です。

漢直のメリット・デメリット

メリットもデメリットも、挙げればたくさんあるのですが、ここではそれぞれ1つだけ取り上げることにします。

●メリット:自分の意図した漢字を一発で入力できて快適

文脈解析機能や推測機能が進化している最近のIMEなら、通常のかな漢字変換でも、意図したとおりに一発で変換できるケースは多いと思います。先ほどの『こころ』の冒頭くらいなら、まとめて入力して1回変換するだけでも、うまくいくかもしれません。

しかしそれでも、本人の想定と異なる変換が完全にゼロになることはありません。

たとえば、文脈が一切ない状況で「せんせい」とだけ入力したとき、それが「先生」なのか「先制」なのか「専制」なのか「宣誓」なのかは、いかにIMEが進化しようとも、入力した本人にしかわからないはずです。漢直なら、そのあたりを自分で完全に制御できるので、変換で余分なストレスを感じずに済みます。もちろん、長い文を入力するときも同様です。

あるいは、「使用する」→「利用する」、といった微修正を加えるケース。訳文を推敲する段階で、こうした修正を加えることはよくあります。こんなとき、かな漢字変換だと、「り(利)」だけ変換し直すにしても、「りよう(利用)」と打ち直すにしても、ちょっぴり手間がかかります。しかし漢直であれば、見た目のとおり、「使」を消して「利」に変えるだけです。「利」を単独で簡単に打てるので、ストレスがありません。

●デメリット:習得に膨大な時間と労力がかかる

漢直のデメリットは、これに尽きるといっても過言ではありません。

先ほど書いたとおり、漢直では、決められたキーを決められた順序で押せば、目的の漢字を一発で入力できます。となると、「どのキーをどの順序で押すとどの漢字が出るか、一つひとつ覚えなくてはならないのだろうか…?」と思うかもしれませんが、実はそのとおりです。一発で打ちたい漢字は全部覚えなくてはなりません。

覚えるといっても、頭で記憶するというより、体で覚える感じです。指が反射的に動くようになるまで、かなり長期間の鍛錬が必要になります。

私の場合、正確な記録は残していないのですが、1日あたり数十分〜1時間程度の練習を、少なくとも半年以上は続けた記憶があります。それでも、スムーズに打てるのはたぶん1000字弱くらいです(小学校高学年レベルまでの漢字+仕事でよく使う漢字)。したがって、実はいまだにかな漢字変換でないと打てない漢字もたくさんあります。

翻訳者の技能として見た場合、日本語入力の習得のためだけにそれだけ膨大な時間をかけるくらいなら、外国語・日本語・専門知識など、翻訳の質そのものに直結する部分の学習に時間をかけた方が、総合的な実力アップという意味では、やはり得策なのではないかと思います。

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以上、この記事では、翻訳者としての観点から、漢直を簡単にご紹介しました。前半で述べたように、万人に無条件でお勧めできる類のものではありませんが、世の中にはそんなものが存在するということだけでも知っていただけたら幸いです。

漢直の習得方法など、詳しく知りたい方は、ググって調べてみてください・・・と言いたいところですが、習得方法などのまとまった情報はあまり出てこないようです。マイナーな入力方式ならではの悲哀といえましょうか。

私が使っている「超絶技巧入力」に関しては、開発した増田さんが作成した有料のテキストやメール講座で習得できます(私もそのテキストを使いました)。とはいえ、増田さん自身のサイトでも、超絶技巧入力については、「他の入力方式」としてごく簡単に触れられているだけです。

※タイトルの「私がATOKを使えない理由」ですが、現状では、超絶技巧入力を使うには、事実上「Google日本語入力」しか選択肢がありません。ローマ字テーブルを細かくカスタマイズできる機能が必要なため、ATOKやMS-IMEでは使えません(最近のバージョンでの状況については知らないのですが、たぶん変わっていないと思います)。

posted by 内山卓則 at 21:50 | 漢字直接入力